毎年七夕が近くなると、幼稚園や学校以外にスーパーなどでも、笹の葉に願い事を書いた短冊を吊るした笹竹を見かけるようになりましたね。
子供のころから、短冊に願い事を書いてお願いしたり、夜空を見上げて織姫と彦星とあまの川を探したりと、七夕のお祭りはもう多くの人の当たり前の行事になっていると思います。
でも?七夕の歴史や由来については、意外に知らない人も多いのではないかと思います。
七夕の歴史や由来について、知らないことを調べてみました。
よろしければ、一緒に確認してみて下さい。
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七夕の由来
七夕は季節の節目である、五節句のうちのひとつです。
五節句の節は、季節が変わる節目のことで季節の節目に設けられた日を節句といいます。
そして、特に重要な年中行事の日を五節句として定められました。
1月7日⇒人日(じんじつ)の節句。「七草の節句」
3月3日⇒上巳(じょうし)の節句。「桃の節句」
5月5日⇒端午(たんご)の節句。 「菖蒲の節句」
7月7日⇒七夕(しちせき)の節句。「笹竹の節句」
9月9日⇒重陽(ちょうよう)の節句。「菊の節句」
七夕(たなばた)と呼びますが、「しちせき」という読み方もします。
七夕の由来についてはいくつかの説があり、それらが一緒になって現代の七夕に変化していったみたいですね。
織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)の星伝説
有名な、織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)と天の川(あまのかわ)のお話ですね。
七夕の時期に、とても輝いている2つの星があります。
古代の中国では、こと座のベガは「裁縫の仕事」そしてわし座のアルタイルは「農業の仕事」をつかさどる星として考えられていました。
天の神様で一番偉い神様の天帝に織姫という一人娘がいました。
そして、とても働き者で機(はた)を織るのが上手で神様たちへの機を織って毎日を過ごしていました。
織姫も年頃になり、婿を探すことになりました。
そして、働き者の牛飼いの彦星が神様の目に留まり、二人は結婚します。
二人は仲の良い夫婦になりましたが毎日遊んで暮らすようになり、仕事に関してはこれまでとは全く違い働かなくなってしまいました。
それをみかねた天帝が、二人を天の川を隔て織姫を西。彦星を東に引き離してしまいました。
二人は悲しみにくれるばかりです。
そんな二人をみかねた天の神様の天帝は、二人に条件付きで会えるように約束してくれました。
それが、7月7日の夜だったのですね。
7月7日の夜に、2つの星が天の川を渡って出会うという伝説です。
大阪府の交野市・枚方市のあたり一帯は、平安時代の頃に「天野が原」とよばれていて、日本における七夕伝説発祥の地と伝わっています。
乞巧奠(きこうでん)
乞うは願う事、巧みは上手になること、奠(でん)はまつるという意味で、機織りが上手かった織姫にあやかり、機織りが上手くなるようにとお願いするお祭りを、中国でしたのが始まりです。
日本には奈良時代に伝わり、宮中の女性達が、7月7日の夜に針や糸を供えて手芸の上達を願うという宮中行事でした。
江戸時代になると一般庶民にも広まり、和歌や書道の上達を願うようになり、様々な願い事を短冊に書くようになりました。
それが短冊に願い事を書く事の起源となっているみたいです。
棚機津女(たなばたつめ)
古くから日本伝わる禊の行事で、水辺に小屋を建てて女性が祖先に捧げる布を織って小屋の棚に載せる棚機という風習があり、その棚機がお盆の準備をする7月7日に行う様になりました。
この布を織る女性の事を棚機津女と呼びます。
七夕は中国の織姫と彦星の星伝説と乞巧奠(きこうでん)の二つが合わさり、それが日本に伝わり棚機津女の風習などと結びついて進化して、今の七夕になったのですね。
七夕に飾る、5色の短冊と笹飾りの意味とは?
七夕の日に短冊を飾る風習は元々はなくて、5色の糸を飾っていたみたいです。
もともと裁縫が上手になりたい事を願う行事ですから・・・
七夕に飾る短冊の色は5色あり中国の陰陽五行説と儒教の五常の徳に対応し、その色それぞれに意味があり、色別にお願い事も違うと言われています。
中国の五行説からきていて、色のひとつひとつに意味があります。
青(緑)⇒木⇒仁⇒徳を積む、人間力を高める
赤⇒火⇒礼⇒父母や祖先への感謝の気持ち
黄⇒土⇒信⇒信頼、友人知人などの人間関係を大切にする
白⇒金⇒義⇒義務や決まりを守る
黒(紫)⇒水⇒智⇒学業の向上
【※色⇒五行説⇒五常の徳⇒意味】
そして、他の七夕笹飾りにも次のような意味があります。
笹竹⇒天に真っ直ぐ伸びる笹竹に短冊を結ぶのは、天に真っ直ぐ願い事が届く様に
紙衣⇒裁縫の上達
巾着⇒金運
投げ縄⇒豊漁
屑籠⇒整理整頓
吹き流し⇒機織りの上達や厄除け
折り鶴⇒長寿
おわりに!
子供の頃から何も疑うことなく、笹竹に願いを書いた短冊を吊るしていましたが、今までその由来などについて深く考えた事はありませんでした。
その発祥は中国にあったのですね。
中国といえば、桃の節句や端午の節句もそうでしたね。
織姫と彦星の星伝説と乞巧奠(きこうでん)と日本の棚機津女が結びついて、現代の七夕になっていたのですね。
七夕の由来や意味を深く知ると、いいものですね。
これから迎える七夕の行事は、いままでとは少し違ったものになるかもしれませんね。
最後まで、読んでいただきましてありがとうございました。